夕顔(10) 中秋の夜 夕顔の宿

さてこの辺からクライマックスに差し掛かります。夕顔の描写、源氏の想いも大分語られてきました。
古来男性読者にとって人気のある女君と言われてきた夕顔ですが、どう思われますか。
その辺りを頭に入れながら夕顔8~12を読んでいただけばと思います。

夕顔談義、ポイントは
1.夕顔とはどんな女性か
2.源氏は夕顔になぜ耽溺したのか
3.あなたは夕顔をどう評価するか(好きかそうでないか)

p220 – 226
10.源氏、中秋の夜 夕顔の家に宿る
 〈p181 八月十五日の中秋の満月の夜のことでした。〉

 ①八月十五夜、隈なき月影、隙多かる板屋残りなく漏り来て、、
  中秋の夜のすばらしい叙述 → 脚注参照。
  中秋の名月の宴はこれからもよく出てくる。そんな重要な夜に宮中にいるでもなく、正妻のところにいるわけでもなく、ふらつき回っている源氏。さながら不良青年ですな。

 ②一夜過ごした夕顔の宿から見聞きした下町の様子、庶民の生活ぶり。源氏には何から何まで新鮮で驚くばかりであったろう。
  「あはれ、いと寒しや」「今年こそ、、、、北殿こそ、聞きたまふや」
  踏みとどろかす唐臼の音  白栲の衣うつ砧の音

 色々な物音が聞こえ騒々しく活気ある庶民の朝の様子、蕉風俳諧の風情と称されるところです。

 ③白き袷、薄色のなよよかなるを重ねて、、、、ただいとらうたく見ゆ
 繰り返し夕顔の愛らしくいじらしい姿が述べられる。

 ④源氏が連れ出そうとするにも頭から拒否するわけでもなく結局は従ってしまう従順さ。
  
 この段は下町の活き活きとした描写がよく引き合いに出されるところです。 

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夕顔(10) 中秋の夜 夕顔の宿 への3件のフィードバック

  1. 式部 のコメント:

      夕顔は頼りなげで従順にみえる女性ですね。言いたいことも言わず、成り行き任せにしてしまう。これって本心がわかりにくいですよね。男のほうは勝手に解釈し、時と場合によりますがそこからチグハグが生じる。昔風の男の好みかもしれませんが、最近の若い男の子たちはこういう女性を好むでしょうかね。
     源氏の君は自分をまるごと全部受け入れてくれる女性を夕顔に見出して、一緒にいたい、心からくつろぎたいと思ったのでしょうか。
     夕顔は男にとって都合のいい女にされていて、私の好みではありません。儚げで可愛い女性であることは認めますが・・・

  2. 青玉 のコメント:

    夕顔、いとあてはかに児ぬしく、心もなき等、源氏の評価はひたすら子供っぽいとか、おっとり素直、たよりなげで愛らしく、いじらしさが強調されていますが夕顔の心の内はいざ知らずちょっとずれを感じます。
    本心はどうなのでしょうか?いまいちはっきりしません。
    ただ内心では意地も誇りもあったのではないかと思います。
    今でいえば下町の煩わしい日常の喧騒に身を置く自身を夕顔本人は恥ずかしく思っているのは事実ですものね。
    しかし源氏はそれらを、のどかにつらきもうきもかたはらいたきことも思ひ入れたるさまならで・・・と夕顔の気持ちを推測しています。
    夕顔に執心するあまり全てを都合良く解釈する源氏ですね。
    高貴な女性に感じる気づまりや緊張感がなく源氏にとって夕顔の世界が新鮮に映る。
    そんな夕顔に源氏はこれまでにはない、意のままになる女性として溺れた。
    夜も待てないほど悶々としている源氏にとっては夕顔との逢瀬が全てで内心にまでは心が至っていないように感じられます。

    そこで私の推測では夕顔は子どもを抱え苦労する薄幸の女性、源氏を頼らざるを得ない、もちろん源氏の美しさと高貴さには身も心も陶酔したとは思いますが・・・
    やはり夕顔の宿は娼婦を想像させますね。
    夕顔の最期はあっけなくはかなげで哀れ、男にとって放っておけない愛すべき女性。
    一昔前の男性から見れば思いのままになる理想の女ということでしょうか?

    好きか嫌いか聞かれれば嫌いな方ですが、でもちょっと魅かれるのはなぜでしょう?

  3. 清々爺 のコメント:

    式部さん青玉さん、打てば響くかの如き早速のレスポンスありがとうございます。
    おっしゃることよく分かります。夕顔のような女性は男性と女性で想いも違うし評価も別れますね。夕顔はお二方のような世の中を弁えた大人の女性には物足りないのでしょうね。

    私も改めて昨夜一晩夕顔のことを考えてみました。以下私の独断的妄想と希望的分析に基づく夕顔像を述べてみます(ご指摘とおり夕顔の心内はほとんど語られていないので殆どが推測ですが)。

    先ず夕顔はすごい美人だったのだと思います。藤壷は勿論六条御息所も葵の上も美人だったのでしょうが、超上流階級の女はプライドがありツンとすましたお高くとまった美しさだったのに対し夕顔は男の気を惹く思わずニタッと笑みが出るような美しさだったのだと思います。
    (物語中美人第一は紫の上、第二は玉鬘だと勝手に思い込んでますがそのお母さんですからね)。

    次に受け答えに機智・ユーモア→即ち教養があっていっしょに居て会話をするにすごく楽しく気持ちよかったのではないでしょうか。夕顔の歌は4首出てきます。最初のが「心あてにそれかとぞ見る、、、」で夕顔からの詠みかけ。後3首は答歌ですが何れもなかなかのものだと思います。会話も洒落てるんじゃないでしょうか。

    そして性格・心ばえ、これはおっしゃるように従順・素直そのものだったのでしょう。それも天心爛漫で飾り繕いがなく、庇ってあげないとどうなるか分からない儚げな女性、、、。

    ということで源氏は耽溺し、二条院に連れて行きたいと思うようになる。源氏の気持ち分かります。夕顔の宿は娼婦の館ではなかったと思いますが、夕顔は娼婦性を多分に持った女性だったのでしょう。

    以上の妄想に基づき夕顔は大好きであります。男にとっては理想の女性かもしれません。でも理想と現実は違います。段々と年を重ねるにつれそんなことは幻想であると分かってきますし、そもそも女性の方も若かりし時はいざ知らずいつまでもそんな風ではありません。夕顔の娘、玉鬘の一生を見るとよく分かります。美しく教養があって従順、夕顔に瓜二つの玉鬘も年を経るにつれしたたかになっていき、晩年を描いた竹河の巻では「ヤメテくれ」と叫びたいような女性になるのですから。

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