葵(19・20・21) 葵の上を追悼 続き

p64 – 76
19・源氏と御息所和歌を贈答、ともに悩む
 〈p189 晩秋の寂しさのいよいよ深まっていく風の音が、〉

 ①ならはぬ御独り寝に、
   → 思わず「どういうこっちゃ!」と叫びました。こういうさりげない一言に作者のユーモアを感じます。

 ②御息所からの哀悼の贈歌・源氏の返歌
  御息所は心を尽くして弔意を表している(すばらしい)のだが、源氏はすげない。これも仕方ない。心が離れすぎている。

 ③御息所と桐壷帝
  故東宮(桐壷帝の弟)が死んだとき桐壷帝は御息所にそのまま宮中に留まって(私の妃になって)はと誘いをかけた。
  それを断り里に下がってる間に息子の源氏とできてしまった。
    → 桐壷帝・源氏 vs 御息所の3人にも三角関係が感じられる

    → 故東宮は何故死んだのか、単なる病死だったのか、それとも何か政治的からみがあったのか?(そういう考察は聞いたことないですが)

20.時雨の日源氏・三位中将・大宮、傷心の歌 
 〈p193 亡き葵の上の七日毎の御法事などはすみましたけれど、〉

 ①物さみしい時雨の日。三位中将(頭中)が慰めにくる。友だち感覚の頭中との語らい・冗談の言い合いは源氏にとっては何よりだったのだろう(源典侍とのこと末摘花とのこと)。

 ②頭中 →← 源氏 & 源氏 →← 大宮
  哀傷歌の応酬。秋の時雨が涙を誘う、故人を偲ぶにぴったりの背景。

21.源氏、時雨につけ、朝顔の姫君と歌を贈答 
 〈p199 源氏の君は、独居がやはりまだ、〉
 
 ①朝顔の姫君。ちょこちょこっと登場する。正妻を亡くした源氏が次の正妻を考える場合の有力候補だったのだろうか。

 ②朝顔 大内山を思ひやりきこえながら、えやは
  脚注14で「源氏の現在の居所をさし、その心境に及ぶ語であると考えられる」とあるが、何故今源氏が居る左大臣邸が大内山なのか私には疑問です。

 ③朝顔から紫の上に想いはめぐる。

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葵(19・20・21) 葵の上を追悼 続き への4件のフィードバック

  1. 青玉 のコメント:

    御息所の贈歌、「菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、さし置きて往にけり
    さりげなく風流な弔問ですね。
    院の「内裏住みしたまへ」ということは帝の後宮になると言うことなのですね。

    葵の上亡きあとの左大臣家の人々、頭中が必死に源氏を慰めんとするも心から晴れやかになれぬ源氏の胸中。
    葵の上を偲ぶお歌は心に沁み入ります。

    何かにつけふっと登場するのが朝顔の君。
    今の源氏にとって心安らかになる対象が思慮深い姫君と言うことでしょうか?
    そしてまたふと紫の上に思いを馳せられる・・・物語の運びが上手いものですね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      そうか、菊のけしきばめる枝に、濃き青鈍の紙なる文つけて、 ですか。晩秋、咲き始めの菊、菊は弔意を表すに恰好の花ですね。読み飛ばしていました。御息所のどこまでも高尚で教養の高さを印象づけているのですね。p68にも御息所の嵯峨野の住まいに世の風流好みの若人たちがおしかけていたって記述もありますもんね。「中宮になりそこねた貴婦人」、若人たちには教祖的な存在だったのでしょうか。
         
         →若人たちの狙いは御息所に仕える教養高き女房たちだったという説もあるようですが。

  2. 式部 のコメント:

      私も「大内山」の脚注、疑問に思いました。岩波古典文学大系も単に「内裏」をさすとあるだけでした。
     この脚注では「無理がある」と言っている説にむしろ心惹かれます。「大内山」を仁和寺の北にある山で宇多天皇の離宮があったところと捉えたいです。その大内山のように左大臣邸に寂しく引きこもっている源氏を思いやって、「秋霧に・・・」の歌につなげたいです。山だからこそ霧もいっそう立つでしょうから。
     いろいろ勝手な解釈ができるから、古典は楽しい!

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      なるほどそんな風にも捉えられるのですね。おっしゃるように勝手に解釈すればいいですよね。試験を受けてる訳でもないですから(私が国語が嫌いだったのはどう答えたら出題者に喜ばれるのかってのを考えるのが国語だと思ってましたから、つまらなかったです)。

      「秋霧」、霧とくれば山里ですもんね。街中の内裏よりもいいかもねぇ。

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