花散里(1・2) 中川経由花散里邸へ

「花散里」橘も恋のうれひも散りかへば香をなつかしみほととぎす鳴く(与謝野晶子)

「賢木」の巻末で源氏はとんでもないことになっている。果たしてどう展開していくのだろうとやきもきするところですが、そこに「花散里」という短い巻がおかれています。間奏曲ともインターミッションとも言われています。今後重要な脇役として登場しつづける花散里の君の紹介的なところもあります。

p218 – 222
1.源氏、五月雨の晴れ間に花散里を訪れる
 〈寂聴訳巻二 p316 源氏の君が自分から求めての、〉

 ①G25年夏 (朧月夜との密会露見の直後だろうか)

 ②麗景殿女御=桐壷帝の女御の一人(麗景殿女御は他にも複数登場する。ややこしい)  
  桐壷更衣のライバルでもあった女御だが桐壷更衣亡き後源氏を可愛がってくれたのであろうか。源氏は恩返しか桐壷帝の死後経済的面倒をみている。

 ③その妹が源氏お目当ての「花散里」。昔内裏でちょこっとあったらしい。

2.源氏、中川の辺で昔の女と歌を贈答する
 〈p317 これというほどの身支度もなさらず、〉

 ①頃は夏。五月雨・ほととぎす・花橘。「夏は来ぬ」の世界(卯の花は出て来ないが)

 ②場所は中川あたり。中川と云えば空蝉の紀伊守邸でしたね。賀茂川の水を引いて。
  麗景殿女御の住まいはその2ブロック南(東京極大路の東・中御門大路の北)
  末摘花邸も極近い(東京極大路の西・春日小路の北)

 ③ただ一目見たまひし宿なりと見たまふ 
  一回行ったところに序でに声かけるなんて私には源氏の神経が分かりません。三回ルールはどうなっているのだろう。「新しい男が通っているのでは」だって、当たり前でしょうに。

 ④「筑紫の五節」、初登場。
   →間奏曲とはいえ色々女性が登場するものです。いやはや。
   

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花散里(1・2) 中川経由花散里邸へ への6件のフィードバック

  1. 青玉 のコメント:

    麗景殿女御は桐壺更衣のライバルだったのですか。
    帝と女御は全て性的関係があったと思ってもいいですか?
    そんな女性にも源氏はお優しいのですね。
    目的はその妹でしょうか?

    中川、どこかで出てきたなとは思いましたが空蝉でしたか?
    晶子の和歌「帚木」にもありましたよね。
    麗景殿もどこかで出てきたのにすぐ忘れてしまうのです・・・
    源氏の記憶には驚かされます。羨ましいです。
    麗景殿女御邸、紀伊守邸、末摘花邸とかたまっていますね。

    五月雨・ほととぎす・花橘と背景は抜群ですね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.麗景殿女御が殊更に桐壷更衣のライバルだったというのではないのですが、後宮にて帝の寵愛を競い合う関係にあったことは間違いないですからね。帝と后たちとの性的関係(ローテーションとか優先順とか頻度とか)については残念ながら私風情の知るところではありません(外野も色々言ってこようし帝もご苦労されたのだとお察しするばかりです)。

      2.「中川の辺の昔の女」、たった一回でも関係があった女性は大事にする源氏、源氏のことを忘れたわけではないがそうも待っておれず他の男を通わせることになってしまった女。さりげなく挿入した割には歌の贈答もあり作者はメッセージを込めているのだと思います。

       紫式部が住んでいたとされる廬山寺もこの辺り。私は「中川の辺の昔の女」のモデルは紫式部作者であろうと睨んでいるのですが如何?(全くの想像です)

  2. 青玉 のコメント:

    中川の辺りが紫式部の住まいならばあるいはそうかも知れませんね。
    この場の源氏と女のやり取り、また惟光の対応意味深でちょっぴり微妙・・・

    物語のどこかにそれとなく自分自身をモデルに挿入するのは面白い発想です。
    読者はどのように想像してくれるのかな~とかね・・・
    そのような場合、自分自身を理想の良い女として描くのかそれとも悪女として描くのかそこは書き手の思うがままですものね。
    私なら思い切り悪女に描くかそれとも源氏など目じゃないわ・・・とかね。
    これは作者の特権ですね。

    • 清々爺 のコメント:

      この長編物語、色んな人をモデルとして紫式部が創り出したものでしょうが部分的には作者自らを投影させている部分も多いのではと思います。

      取分け空蝉と明石の君には思い入れがあるのじゃないでしょうか。空蝉は現実の自分に近いし明石の君は自分の究極の成功物語として、、、。

  3. 式部 のコメント:

    清々爺さん、面白いこと考えますね。「中川の辺の昔の女」に作者が投影されているですって! 去年、廬山寺に行きましたが、そんなこと考えもしませんでした。しかしながら、源氏の君を振る女の役を自分にもってくるのは良いですね。作者は思い通りに設定できますからねえーー。  この時代、男が通ってこなくなったら、その関係は終わりですから、ある程度の時間を経て、次に言い寄ってくる男になびくのはありふれたことでした。 相手が源氏であろうが、ひたすら待ち続ける女ばかりではないところが笑えます。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      実は廬山寺のことよく知らなかったのです。それで先日式部さんが句会で詠んだ廬山寺の紫の句が採れなかったのです。失礼しました。おかげで勉強したのです。今度京都へ行ったら是非廬山寺を訪問したいと思っています。

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