名古屋・伊勢方面に行ってきました。

津で甥っこの結婚式がありその序でに名古屋・伊勢方面で行きたいと思ってた所に行ってきました。連日の猛暑で外を歩くのは大変。屋内で涼をとってちょっと外への繰り返しでした。以下一口メモです。

1.徳川美術館&徳川園 
  尾張62万石の威厳が凝縮されてる感じでした。企画展は刀剣(備前刀の系譜)で国宝もけっこうありました。さらりと見ました。源氏物語の第6展示室は小さいし内容的にも大したことなし。やはり行くなら源氏物語絵巻の特別公開(2013.11.16-11.24)でしょうね。この時には隣接の蓬左文庫でも「源氏物語の世界」が展示されるようですし。

  徳川美術館所蔵で言えば源氏物語絵巻もさることながら千代姫が嫁入りしたとき持参した「初音の調度一式」これがすごいでしょうね。行ったときは「初音蒔絵小角赤手箱」という小さな箱が一つだけ展示されてありましたが、これ一式並べてみたら凄いでしょうね。正に源氏物語と徳川将軍家を結びつける国宝だと思いました。出し惜しみせずに一気に公開して欲しいものです。

2.東山動植物園
  殆ど60年振りに行きました。スカイタワーからの眺めは最高でした。熱帯出身が多い動物たちも日本の暑さは堪えるようで熱射病気味に見えました。特にスマトラトラは食欲不振か並べられたエサにも見向きもせず横たわっていました。コアラは空調の効いた屋内で気持ちよさそうにユーカリを食べていました。気候のいい春秋の平日にゆっくり見れたら楽しいだろうなと思いました。

3.本居宣長記念館&鈴屋
  ゆっくり見てきました。この人の勉強振りは凄い。「もの学びの軌跡・奇跡 宣長72年の生涯」とパンフレットにありましたが正にその通りだと思いました。13才で起筆された日記、15才で中国4千年の歴史を10メーターの巻物に凝縮した図、17才で画いた(各種日本地図をまとめたのであろう)大日本地図などアンビリーバボでありました。20才で源氏物語と出会い没頭し源氏を更に読み解くために古事記を始めたというのを知り「そうだったのか、宣長!」と思いました。
  鈴屋の4畳半は宣長にとって何にも勝る至極の居室だったのでしょう。

4.松坂城跡・御城番屋敷・原田二郎旧宅
  松阪が紀州藩(御三家)に属していたことを改めて認識しました。身近に君主の居る津藩とは色んな面で違っていたのでしょう。

5.斎宮歴史博物館(三重県多気郡明和町)
  7世紀の飛鳥時代から始まった斎宮制度、斎宮跡は東西2KM南北700Mの広大な範囲で大々的に発掘が行われておりまだこれから謎が解かれていく途上だとのこと。その意味で古代史・考古学愛好家には堪らない魅力スポットでしょう。

  勿論斎宮の役割や暮らしなどについても詳しく説明されていました。私は斎宮は連日伊勢神宮で天皇に代り神に奉仕する重要なお役目だと思っていました。ところが斎宮が伊勢神宮に赴き神事に参加するのは1年の内6月・9月・11月の3回、各2日づつ合計6日間だけで後の日々は伊勢神宮から10KM離れた当地でひたすら日々を過していたとのこと。何とも非人間的なお役目だとびっくりしました。六条御息所と秋好中宮(斎宮)が6年間もこの地で過ごしていたことを思うと(フィクションながら)残酷物語だと可哀そうになりました。

6.せんぐう館・外宮・内宮
  着々と遷宮の準備がなされており週末はごった返しているようでした。平日の午後4時過ぎはガラガラでしたが暑さでただ正宮まで往復しただけでした。せんぐう館は涼しくてよかったですが。。

7.二見・鳥羽・大王崎灯台
  大王崎に行ってきました。景色は豪快でよかったですが未だに細々と海藻と干物で生活しているところがあるのだなあとちょっと暗い気持ちになりました。

さて、源氏物語から大分遠ざかってたので明日から集中して取り戻さねばと思っています。

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名古屋・伊勢方面に行ってきました。 への6件のフィードバック

  1. ハッチー のコメント:

    随分いろいろ回ってきましたね、面白く読ませていただきました。

    徳川美術館は11月16日~24日がベストとのこと、何とかこの時期に訪問したいものです。
    あと、斎宮が年6回しか伊勢神宮に行きお祈りをしないとは、驚きです。お正月もお社ではお参りしないのですね。どういう訳か知りたいところ。

    大王崎は2-3回ほど行っていますが、いまだ開けていないのですね。海女さんが焼く残酷焼きはまだありましたか。お婆さんの海女さんが2-3人集まって、さざえとか焼いてくれたのが、確か大王崎だったように記憶しています。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.伊勢神宮と天皇と斎宮の関係がよく分かりません。伊勢神宮は天皇家の神社だから天皇家がお仕えしなければならないのだが、普段天皇自身は奉仕できないから身代わりに斎宮をたてて日々奉仕させるのだろう、、、と漠然と思ってたのですがね。

       「斎宮歴史博物館」 立派なHPがありますから見ておいてください。

       もう一つ、斎宮として神に仕える間は仏教を忌まなければならない。御息所は6年間も伊勢におり仏教から離れていたので病気になり出家しやがて亡くなった、、、、成仏できない訳が解るような気がします。
        →「澪標」p238 脚注14参照

      2.大王崎、観光シーズンでもないので殆ど観光客はいませんでした。でも灯台への細道沿いには旧態そのものの土産物屋が並びお婆さんがワカメなんぞ売っていました。休憩所もあったので残酷焼きなんぞやってるのでしょうね。何せ志摩は岩牡蠣とさざえの名所ですもんね(今回は結婚式の前日だったので生ものと貝類は敬遠しました)。

  2. 式部 のコメント:

    猛暑のなかあちこち回られましたね。お疲れではありませんか?
     賀茂斎院は都にいて文化サロンの役割も担っていたから華やかですが、伊勢斎宮は都から遠く離れ、雅やかな暮らしとはいえず、寂しかったでしょうね。六条御息所は持てる能力、魅力を発揮できなくて悶々としたのではないでしょうか? 斎宮はまだ若くておっとりしていたのでしょうか。
     伊勢の斎宮とくれば、「伊勢物語」69段ですよね。 なんか切ないお話ですね。
     恋を禁じられているとは、非人間的ですね。
     話はちょっと飛びますが、斎宮に決まると半年くらい潔斎しますね。(野々宮) 。 もちろん清めのためですが、その女性が妊娠していないかチェックする意味合いもあったそうです。
     高貴なお姫様たちも、いろいろ大変だったのですね。

     今は良い世の中になりました。
     現在の伊勢の神宮祭主は池田厚子さまですが御高齢なので、今上天皇皇女の黒田清子さまが伊勢神宮臨時神宮祭主をつとめられています。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.「伊勢物語」69段、読み返してみました。斎宮歴史博物館での斎宮紹介ビデオでも勅使を接待する場面がありました。都から訪れる勅使は当然斎宮を意識するし、斎宮の方もめったに来ない都人を迎えて興奮状態になる。そこに情事が生まれたかないままに終わったのか、、、。切ない話です。伊勢物語の名前の由来もこの段から来ているという説もあるようですね。

      2.そうか。野宮での潔斎期間もありましたね。源氏が訪れて御息所と最後の夜を過ごす。娘の潔斎期間にちょっと怪しからぬことかもしれませんね。

      3.伊勢の神宮祭主のこと知りませんでした。ありがとうございます。今年の遷宮での儀式でもご奉仕されるのでしょうね。

  3. 青玉 のコメント:

    名古屋 松坂 伊勢鳥羽と精力的にかつ効率よく動かれましたね。
    お疲れさまでした。
    徳川美術館のメインはやはり秋の源氏絵巻特別公開でしょうね。
    東山動植物園にまでいらしたとは嬉しいことです。
    私、動物園大好き人間。今でも時々行きます。
    植物園には万葉の散歩道や也有公園とかもあるのですよ。

    松坂の「御城番屋敷」というのは最近よくテレビでも見かけますので斎宮歴史博物館と併せて是非一度は行ってみたい所です。

    池田厚子様、御存命でしたか。ご長寿ですね。
    臨時の神宮祭主をつとめておられるのが清子様なのですね。
    いろいろと教えていただきありがとうございます。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.東山植物園万葉の散歩道を歩きたかったのですがアッチッチでとても無理でした。また行きたいです。

      2.「御定番屋敷」、是非いらしてください。公開屋敷が一つあり当番の御婦人が親切に案内してくれました。1863年ちょうど150年前に建てられたそうですがしっかりしており、公開屋敷以外は今も住居として人が生活しているというのにも驚きました。

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