若菜上(12) 玉鬘による四十の賀

p70 – 80
12.玉鬘、若菜を進上 源氏の四十の賀宴催す
 〈p48 新年になりました。〉

 ①夕霧の結婚、姫君の入内、六条院への栄えある行幸そして女三の宮との結婚話と随分色々あったG39年が暮れて、G40年となる。

 ②源氏40才。老年期に入る。長寿を祝う儀式が行われる。 名場面
  その第一弾として正月子の日に玉鬘が若菜(食べると若返る菜ということか)を持ってお祝いに参上する。
  →サプライズパーテイである。玉鬘のエライところ!

 ③玉鬘は髭黒左大将の北の方に納まり世をときめく勢い、自ずと豪華な儀式、宴会になる。
  御地敷40枚、籠物40枝、折櫃物40
  →四十の賀だから40としたのであろうか。

 ④源氏と玉鬘久しぶりの対面 G38年初に玉鬘が出仕して以来だから2年ぶりか。
  →う~ん、お互い懐かしかったことだろう。源氏の目に人妻となり子どもを連れて来た玉鬘はどう映ったのだろう。

 ⑤玉鬘の子ども(男子二人)について
  髭黒玉鬘(強制)結婚 G37年10月(真木柱)
  第一子誕生      G38年11月(真木柱)
  第二子誕生      G39年暮 ないし G40年1月 
   即ち第二子が産まれていてもまだ生後2ヶ月くらいの筈。
  →ちょっとおかしいが良しとしましょう。

 ⑥二人の子ども、玉鬘は恥ずかしくて見せたくないが髭黒は見せて自慢したい。
  →二人の心境よく分かります。髭黒もカラッとしていて好ましい。
  →髭黒が玉鬘に「四十の賀、サプライズでやろう」とそそのかしたのかも。

 ⑦夕霧は源氏に子ども見せない。
  →夕霧の結婚はG39年4月(藤の宴にて)なのでこれもちょっとおかしいが、、、。

 ⑧玉鬘 若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根をいのる今日かな
  源氏 小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき 代表歌
  →感情のこもった歌の贈答ではなかろうか。

 ⑨式部卿宮も遅れて参列
  →髭黒・玉鬘と顔を合わせるのは気まずかったことだろう。

 ⑩楽宴になる。
  柏木(衛門督)の登場。和琴の名手である。
  →これからの物語の主役になる柏木をさりげなく紹介している。

 ⑪朝になり宴果てて玉鬘は帰っていく。
  →源氏は玉鬘に逢えて嬉しかったとともに老人期に入ったことを自覚させられ、かつ女三の宮のことが頭をよぎり複雑な気持ちだったのではなかろうか。

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若菜上(12) 玉鬘による四十の賀 への2件のフィードバック

  1. 青玉 のコメント:

    年改まり源氏の意に介さずやはり公式の行事として盛大晴れやか豪華な様子がうかがえます。
    久しぶりに玉蔓の登場、しかも二人の御子を連れて・・・
    髭黒の誇らしげな気持ちがよく解ります。

    歌の贈答、お互いに魅かれあった過去を懐かしみつつなお現在の美しさに魅入る思いの深さがうかがえます。
    巻名は玉蔓の献上した若菜からきているのですね。
    百人一首の光孝天皇のお歌にもありますね。
       君がため春の野にいでて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ

    そして楽奏の宴、やはり鳴り物が加わるといっそう華やぎ御賀にふさわしい場面に読者もうっとりです。
    そして柏木の和琴の腕前がそれとなくアピールされているのもハハ~ンと思わせますね。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      1.「四十の賀」の様子が非常に詳しく描かれています。当時長寿を祝う儀式としては四十の賀から始まり十年毎に行われたとのこと。平均年令やら退職年令やら考えると四十の賀が今で言う還暦祝いぐらいの感じでしょうか。源氏物語ではこの源氏の四十の賀と朱雀院の五十の賀(若菜下)が記されてますが他には(今でいう古稀とか喜寿とか米寿とか)特に記述はありません。

      2.四十の賀の最初の主催者に玉鬘を持ってきたこと素晴らしいと思います。そして若菜を小道具に使い源氏物語最重要巻のタイトルにする。それと玉鬘の子どもたちの登場。夕霧は孫を見せてくれないようで源氏にとっては孫を連れて嫁いだ娘が帰ってきてくれた思いだったでしょう。雲行きの怪しい六条院に束の間の幸せな時間が流れたという感じで読者もホッとしたのだと思います。

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