橋姫(5・6) 八の宮宇治へ移る。阿闍梨登場

p177-184
5.宮邸炎上し宇治に移住 阿闍梨に師事する
 〈p92 そうこうするうちに、〉

 ①かかるほどに、住みたまふ宮焼けにけり
  →八の宮邸が京のどこにあったかは不詳

 ②宇治に持っていた別荘に移り住む。
  宇治=憂路 失意の男が住むに相応しい所として設定したか。
  百人一首No.8 喜撰法師
   わが庵は都のたつみしかぞ住む世を宇治山と人はいふなり

 ③網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて、
  宇治川の描写。川霧と網代木。
  百人一首No.64 藤原定頼
   朝ぼらけ宇治の川霧絶えだえにあらはれ渡る瀬々の網代木

 ④脚注2 参照 宇治川の地理的位置をしっかり覚えておきましょう。
  琵琶湖の水は全て瀬田大橋の所から瀬田川に流れる。瀬田川は直角に曲がり宇治川と名を変え、宇治を通って西に流れ、山崎で木津川・桂川と合流し淀川となって大阪湾に注ぐ。
  →琵琶湖の水のアウトレットは瀬田川・宇治川のみ(日本海へなど流れていませんぞ)

 ⑤八の宮の宇治山荘は宇治川の東岸(京都側)現在の宇治神社のあたり。
  夕霧の宇治山荘(後出、匂宮が使用)は対岸 現在の平等院
  →この二つの山荘の位置&距離を頭に入れておきましょう(グーグル地図で直線300M)

 ⑥八の宮 見し人も宿も煙になりにしをなにとてわが身消え残りけん
  →焼け出され宇治の田舎に移る八の宮、哀れであります。

 ⑦この宇治山に、聖だちたる阿闍梨住みけり、
  →上述の喜撰法師がモデルだろうか。場所といい、聖職者を出してくるところ見事です。

 ⑧さびしき御さまに、尊きわざをせさせたまひつつ、法文を読みならひたまへば、尊がりきこえて常に参る
  →八の宮と阿闍梨はたちまちのうちに法の友(阿闍梨は八の宮の法の師)となった。
     
6.阿闍梨、八の宮の生活を院・薫らに報ず
 〈p94 この阿闍梨は、冷泉院にも親しく伺候して〉

 ①この阿闍梨は、冷泉院にも親しくさぶらひて、御経など教へきこゆる人なりけり。
  →うまくつなげて行くものです。

 ②阿闍梨から冷泉院に八の宮のことが告げられ、伺候していた薫も知る所となる。
  冷泉院「いまだかたちは変へたまはずや。俗聖とか、この若き人々のつけたなる、あはれなることなり
  →「俗聖」在俗の仏徒、こんなのもあるのですね。 

 ③阿闍梨が冷泉院に八の宮の姫たちのことを喋る。薫も聞いている。
  冷泉院「、、もししばしも後れんほどは、譲りやはしたまはぬ」
  →父源氏が朱雀院から女三の宮を譲りうけたように自分も面倒みてもいいよ、、、
   冷泉院 49才、女三の宮が源氏に降嫁したのは源氏40才の時

 ④中将の君、なかなか親王の思ひすましたまへらん御心ばへを対面して見たてまつらばやと思ふ心ぞ深くなりぬる。
  →薫は俗聖八の宮に共感を覚え阿闍梨に仲立ちを頼む。薫の道心の深さ。

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橋姫(5・6) 八の宮宇治へ移る。阿闍梨登場 への4件のフィードバック

  1. 青玉 のコメント:

    琵琶湖一周で瀬田の唐橋を通りました。
    何度か歴史的舞台にもなった所ですが今は頻繁に車の往来が多いところです。

    瀬田川から宇治、淀川とのつながりがこのようだとは知りませんでしたので地図で確認しておきます。
    宇治は宇治茶しか知りませんしね・・・
    単発で覚えているだけで地図上での記憶は更に曖昧です。
    武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋

    焼け出されていかにも落ちぶれた八の宮、そして冷泉院とも親しい阿闍梨との出会い・・・
    さらに宇治十帖の主役、薫の登場。
    姫君へと自然にうまくにつながっていく。
    やはり物語には姫が登場してこないと華やぎに欠け何だか殺風景ですね。
    宇治という場所がいかにも俗世から離れた聖地に思えてきます。

    • 清々爺 のコメント:

      ありがとうございます。

      補足コメントでも宇治のこと言及しておきました。平家物語の要所でもあるんですよね。源氏物語宇治十帖の恋物語と平家物語の合戦の舞台である宇治、色濃いものがありますね。

      瀬田の唐橋は有名ですね。「急がば廻れ」の歌の紹介ありがとうございます。先週のびわこマラソンで何度も映し出されていました。石山寺の近くなんですね。
        →琵琶湖一周ってすごいですね。今回の大河もそうですが信長・秀吉の時代の話には琵琶湖周辺が必ず出てきますからね。実際歩いたなんて何にも代えがたい経験ですよ。

      さて、宇治の舞台と登場人物は大体出揃いました。実質これから物語が始まることになります。

  2. 清々爺 のコメント:

    宇治について思いつくままの補足コメントです。

    ①阿闍梨の山寺: 喜撰法師が住んだという宇治山(現喜撰山)とすると標高416M。八の宮の宇治山荘から真東に約3KM。標高も距離も現代感覚からすると大したことないが当時は山深く行き来するに大変なところであったのだろう。

    ②宇治の平等院は藤原頼通が1052年に別荘を寺院に造り替えたのが始まり。それまではあの源融の別荘であり、源氏物語執筆当時は道長の別荘であった。源氏物語の中では夕霧の宇治山荘として匂宮が訪れる舞台がここであり、道長も満足げに読んでいたことでしょう。

    ③その後宇治は平家物語の舞台となる。
     ・源平の最初のぶつかり宇治川合戦で敗れた源三位頼政が平等院で自害
       頼政は歌人でもあった。その辞世
        埋木の花咲く事もなかりしに身のなる果はあはれなりける

       頼政の娘が二条院讃岐(百人一首No.92)
        わが袖は汐干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし
     
     ・宇治川の先陣争い 佐々木四郎高綱(いけずき)vs梶原源太景季(する墨)
      「さかまく水もはやかりけり」「河霧ふかく立ちこめて」
      「此河は近江の水海(琵琶湖)の末なれば、まつともまつとも水ひまじ」
       →宇治川の特徴をしっかり伝えています。

    ④そして宇治と言えば宇治茶、玉露・抹茶・喜撰。
     (三重県伊勢市の旧称を宇治山田市と言ったので小さいころは宇治茶って山田(伊勢神宮)のあたりでとれるお茶かと思ってました)

     もう一つ、高校駅伝でいつも優勝に絡んでくる立命館宇治高校。

    こんな宇治をイメージとして読んでいきましょう。 

  3. 青玉 のコメント:

    宇治のイメージありがとうございました。
    そうでした、お茶だけではありませんでした。
    私としたことが肝心の平家物語巻第九「宇治川先陣争」を忘れているとは!!
    平家物語の講師からどうした?と嘆かれそうです。

    そして戦に敗れた義仲、今井四郎兼平を追って瀬田へ、粟津で木曽最期と続くのでした。
    この辺り涙なくしては読めない、名場面が続きますね。

    後2回で平家物語の講座を終えます。
    土曜日ラジオの古典講座も平家物語が二年間続き今月後4回で終了です。
    ちょっと一服したら全編読み返してみたいと思っています。

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