後宮・女房集団

天皇の妃たち(中宮・女御・更衣)は後宮の殿舎(桐壷とか藤壷とか弘徽殿とか)に住むのですが、それぞれに4~50人からの女房がかしづきお世話していた。さながら女房軍団であり、美貌・教養にすぐれた女房を取り揃え中宮・女御をバックアップし天皇の寵を競い合う、、、そういう図式であったようです。

先ず史実から。一条帝の中宮定子、中宮彰子の宮廷女房集団が有名です。
一条帝の寵を一身に集めた教養深き定子にはあの才女清少納言。定子と競い定子の死後は独走体制にあった道長の切り札彰子には紫式部・和泉式部・赤染衛門・小式部内侍・伊勢大輔、、、豪華絢爛すごい顔ぶれが揃っていたのです。詩歌・音曲・美術工芸、、文化教養を競いあった様は見応えがあります。勿論女の世界のこと、集団内でも色々あったのでしょうがお色気方面だけでなく文化サロンをもって帝にアピールする、、いい世界だと思います。

源氏物語でも後宮ではないがそれぞれの女君が女房軍団を持っており、この女房の良しあしで主人の輝き度も違ってくるという図式になっています。最高級のサロンと言われるのが六条御息所のところ。「中将のおもと」と言う才色兼備の女房がいてさすがの源氏も気を引かれたりする。一方、末摘花のところの女房は全く気がきかない、これでは末摘花もお気の毒って感じなのです。

女主人への取り次ぎ伝言なども全てお付の女房を通してなので、密通の手引きをするのも女房たち。源氏→藤壷は王命婦、髭黒→玉鬘は弁のおもと、柏木→女三の宮は小侍従、、、それぞれ重要なる脇役なのです。

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すばらしき従者たち 惟光 良清 右近 侍従

源氏物語には男女主人公のお傍に従者として脇役が登場します。これらお付きの人たちが素晴らしいのです。物語を展開させる鍵を握ることもあれば、展開させない=変わらないことの象徴であったりもします。狂言回し的なところもあるし、主人公を代弁させるようなところもあります。

第一部では何と言っても「惟光」と「右近」でしょうか。惟光は源氏の乳母兄弟、右近は夕顔の乳母姉妹、従って年もほぼ同じ、身分は違っても兄弟姉妹同様の間柄だったのでしょう。「夕顔」の巻は彼ら4人の織りなす素晴らしいストーリーだと思います。17才ヤンチャ盛りで怖いもの知らずの源氏にいつも付き添い面倒をみている惟光(お傍去らずの惟光)、右近も同様で夕顔こそわが命みたいなお付きです。

この4人が某の院で遭遇した事件、こともあろうにお傍去らずの惟光がどこかにしけ込んでいて見当たらない、焦る源氏弱冠17才、、、、迫力満点の場面です。ここを読むと「源氏物語ってすごいなぁ」となるはずです。その後右近は何十年も源氏に仕え、執念で夕顔の忘れ形見「玉鬘」を見つけ出すのです。

  (→「夕顔」の巻、私はベスト5に入ると言うに、髭白大将は異議ありとのこと。11月には通過しますので議論はまたその時に。。)

宇治十帖になると物語の筆致も近代小説風になってくるので、興味あるバイプレーヤーがいっぱい出てきます。とりわけ「東屋」以降の浮舟の物語、これに登場する人たちは誠に面白いです。浮舟の女房の「右近」(乳母子)と「侍従」、それとガマの様相の「乳母」、浮舟のお母さん(中将の君)もいい。

それと男たちも。私が好きでたまらないのが浮舟の結婚に関わる口利き人(仲人)が出て来て帝の言葉をもねつ造して熱弁をふるう場面(⑮p32)。商社マンも顔負けの口八丁手八丁でここ読むと笑いが止まりません。

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源氏物語は官能小説か

源氏物語は官能小説か?   Yes, of course!  
光源氏と数多くの女君の繰り広げる物語、性愛場面がないはずはありません。

さてどんな官能パターンが入っているか、順不同・好き嫌い不問で列挙すると;
 義母、人妻、熟女、醜女、男色、幼女拉致、ロリコン、覗き、レイプ、コスプレ、身代わり、、、
まさにポルノ映画の百科事典であります。

平安時代は性倫理も比較的おおらか後宮にも男が入れた。事が起こるのも当然かもしれません。その点中国後宮は宦官制であったし、江戸時代の大奥は男子禁制であったのと大違いです。

ところが源氏物語には性愛場面はあっても性愛描写は一切ありません。多くを語らず読者の想像に委ねる、委ねられた読者の妄想は膨らむばかり、まさに紫式部の思う壺なのでしょうか。

一例のみ挙げますと、幼い時連れ帰り娘として共寝していた若紫を紫の上としてしまう場面、

男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり。

(「葵」の巻③p93) これで何が起こったのか全てを語る、、寂聴さん絶賛の場面であります。

左様に省略やらボカシやらの語り口なのでこのシーンは「事があったのかなかったのか」(源氏読みでは「実事」という)の議論も絶えないところなのです。→(「光る源氏の物語」(大野晋・丸谷才一 中公文庫)が面白い)
私は実事ありのところではテキスト上部にハートマークをつけていました。

源氏物語は官能小説ですがいやらしさ、下品さは全くありません。どんな場合も源氏の君は女性に優しく思いやりがあるスーパーヒーローなのですから。。

 

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源氏物語は教育書である

時に「源氏物語は教育書である」とも言われています。
源氏物語には当時の風俗習慣、遊芸、年中行事、出産~葬式までの各種儀式、社会、生活ぶりまで百科事典的に書かれており、当時の人々には勿論(更級日記の作者が代表)、後世の公家・武家社会でも源氏物語の内容に通じておくことは重要であったようです(室町時代の三条西実隆あたりにより源氏物語は聖域に高められた由)。

女子の嫁入り道具として源氏物語の写本が持たされたし、女の生き方・仕え方を教える書としても用いられたようです。またそれなりに男女のシーンも出てくるのでそちらの方面でも教科書的に使われたのでしょうか。

テキストの脚注によると、「中世のある公家は、元旦、この巻(初音)の朗読を恒例としたという」(「初音」⑦p12) 

年たちかへる朝の空のけしき、なごりなく曇らぬうららけさには、数ならぬ垣根の内だに、雪間の草若やかに色づきはじめ、、

六条院が完成した新春の天下泰平、満ち足りた様子が描かれた巻で、元旦に一族郎党を集め声のいい誰かにこの巻を朗々と読ませて悦に入っている公家の様子が沸々と目に浮かび目出度い気分になります。

また教育と言うと作者紫式部の教育論が展開されている件があります。第21巻「少女」の巻、光源氏の息子夕霧が元服し叙位の年になる。四位五位からでもできるところ、源氏は敢えて六位から始めさせ、大学に入れて学問をさせる。そこで何故学問が必要なのかなど教育論が書かれています。興味深いところです。

(オマケ)中国の科挙制を日本は一旦取り入れたものの、受かっても上級管理職には行かせないとかで結局平安期には形骸化しなくなってしまっている。即ち日本は科挙制はとらなかった、上から下までの身分社会・世襲社会がず~っと続いたということでしょうか。。

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閑話 源氏物語と百人一首

源氏物語は紫式部が生み、藤原定家が育てたと勝手に思っています。その定家がプロデュースしたのが小倉百人一首ですからその結びつきは極めて強い。定家は源氏物語を思い浮かべながら人を選び、歌を選んだのだと思います。

ざっと関係を見渡すと;
No.8「わが庵は都のたつみ、、」 宇治十帖の舞台 宇治と憂し
No.10「これやこの行くも帰るも、、」 逢坂の関 → 関屋の舞台
No.11「わたの原八十島かけて、、」 小野篁、遠流 → 須磨を連想
No.13「筑波嶺の峯より落つる、、」 関屋(空蝉が帰ってくる)&浮舟の育った筑波
No.14「陸奥のしのぶもぢずり、、」 源融、某の院 & 伊勢物語初段 若紫
No.15「君がため春の野に出でて若菜つむ、、、」 大長編若菜は上下二巻
No.16「立別れいなばの山の、、」 在原行平 須磨流謫
No.17「ちはやぶる神代もきかず、」 在原業平 色好みの代名詞
No.18「住の江の岸による浪、、」 住吉神社 紫の上唯一の遠出
No.19「難波潟短き葦の、、」伊勢は紫式部のお手本、18-20は難波3連発
No.20「侘びぬれば今はた同じ、、」 澪標 元良親王は光源氏モデルの一人
No.23「月見れば千々に、、」 大江千里→「、、朧月夜にしくものぞなき」花宴
No.24「このたびは幣もとりあへず、、」 菅原道真 色んなところで引合いに出る
No.27「みかの原わきて流るる泉川、、」 藤原兼輔 紫式部の曽祖父
No.29「心あてに折らばや折らむ、、」 →「心あてにそれかとぞ見る、」夕顔の歌
No.34「誰をかも知る人にせむ高砂の、」 明石を偲ぶ尼君(松風)
No.42「契りきなかたみに袖を、、、」 末の松山→薫の浮舟詰問の歌に引用 
No.45「哀れともいうべき人は、、、」 身のいたづらになりぬ→哀れ柏木
No.47「八重葎しげれる宿の、、」 荒れ果てた河原院→夕顔 某の院のモデル
No.55「滝の音は絶えて久しく、」 藤原公任、京都嵐山大覚寺(松風)
No.57「めぐり逢ひて見しやそれとも、、」 紫式部ご自身の御歌です

50番台~64番は紫式部と同世代の歌人が並ぶ。
75番藤原忠通からは源氏物語も顔負けの待賢門院璋子がらみの人間模様が繰り広げられる、、興味は尽きません。

長々とマニアックな羅列でスミマセン、、、私の記録用です。。

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国際性に富んだ源氏物語

源氏物語の冒頭桐壷の巻を読んだ時びっくりしました。いきなり白居易の長恨歌が引用されているし、高麗の人相見が登場する。「えっ、源氏物語って平安時代の純国風文化の結晶じゃないの!」って思ったものです。

平安時代はざっと紀元800~1200年の400年間。最初の100年は遣唐使の往来があり世界最先端を行く唐の文明を全ゆる分野で積極的に取り入れた。政治制度も律令制も平安京の造りも文学弦楽も仏教も。ところが900年ころ遣唐使が廃止されて後平清盛により日宋交流が盛んになるまでの300年間はほぼ鎖国状態であり、この間に優雅な国風文化が醸成されその最高峰が仮名で書かれた女流文学である源氏物語だ、、、、とばかり思っていました。

ところが一旦取り入れた文化は消失しない、一条帝の治世は帝も中宮定子も後宮も皆漢籍に通じた教養高き時代であったようです。源氏物語には中国の文芸・故事も広く引用されているのです。

気がついたところでは、
1.桐壷の巻の長恨歌(しつこく引用されている→テキストには全文付録で載せている)
2.源氏が須磨に流れる時持参するのが仏書と「白氏文集」と琴の3つ
3.薄雲の巻、秘密を知った冷泉帝が宮廷での密通について中国の例を調べている
などなど、、。

紫式部の和漢文籍への博学ぶりには驚くばかり、中宮彰子に請われてこっそりと白氏文集の講義もしています。それでいて普段は漢字も読めないふりをする、、この辺が女房稼業の難しさなんでしょうが。

何れにせよ源氏物語を読めば読むほど中国・朝鮮半島との結びつきに驚き、国風文化と言えど国際性に富んだものだったのだと思うに至りました。

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源氏物語と宗教

宗教と言えばやはり神と仏であろう。

先ず神教。天皇の役目は祭祀を行うことだったので源氏物語には新嘗祭での五節の舞姫など年中行事がいっぱい出てきます。それと重要なのが伊勢神宮に斎宮、賀茂神社に斎院として奉仕する未婚の皇女、、これが物語の展開に大きな役割を果たすのです。一旦斎宮・斎院に召し出されると天皇の代替わりまで帰れない、神に女の青春を差し出すといった感じ。6~8年も帰れないと世の中は変わってしまう。これを紫式部はうまく物語に使っています。伊勢神宮に6年間仕えた秋好中宮、賀茂神社に8年も仕えて結局源氏と結ばれなかった朝顔の君、、、なかなか面白いです。

次に仏教。この時代中心は浄土思想で阿弥陀仏に極楽浄土への成仏を願うということだったのだと思います。物語には僧侶がいっぱい出てきます、僧都だの阿闍梨だの。でも総じて俗っぽい感じで余り尊い気がしない。作者の考え方がそうだったのでしょうか。

宿世・前世、この言葉がよく出てきます。♪生まれる前から~~結ばれていた~~てなことでしょうか。源氏は女性を口説くのにこれをよく使います。実に調子のいい都合のいい論理です。

それと出家。「源氏物語は出家の物語である」とどこかに書かれていたかいなかったか。でも男も女もすぐ出家出家と口にだす。出家は仏に仕えることだから男女のことはなくなってしまう、、、勿体ないなあと思うんですが、、、この辺も人の心の物語として読み解いていきたいと思っています。

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平安貴族の心の世界  陰陽道 物の怪

ある解説書で「平安時代、占いは科学であった」と言うのを読みなるほどと思ったものです。人の心を律するもの色々ありますが、それは時代によって異なる。そしてこの目に見えない心の世界が人々の行動を規制し、それが社会の規範となっていくという図式でしょうか。

安倍晴明(彼も紫式部の時代であった)に代表される陰陽師、陰陽道。これが大きな役割を果たします。占いは科学なので真実として絶対の力を持つ。やってはいけないことやらねばならないこと、貴族の生活はガンジガラメに規制されてたようです。

方違え(かたたがえ)=行く方向に神がいると行けない、三角形に迂回する必要あり=これが面白いのです。帚木の巻、面白くない雨夜の品定めの後パッと明るくなる話の展開のきっかけが方違えです。源氏は方向が悪いとして図々しく部下の屋敷に泊まりに行く、、、「もてなしはあるのだろうな。。。」とか言って。非日常なので心はウキウキ。ここで空蝉と出会うことになるのです(先日髭白大将がありゃあ犯罪行為だぜとおっしゃった一幕)。

もう一つは物の怪。人に弱点があると物の怪が憑き心身を苦しめる。僧侶に祈祷させ、憑座(よりまし)に乗り移らせて退治する。これも科学として信じられていたので随所に出てきます。葵の巻、六条御息所の生霊が葵の上に憑りつくシーン、、見せ場であります。

  「なげきわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがひのつま」(物の怪)

信じる・信じない、心の世界。これはいつの世でも不可思議なんでしょうか。

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9月になりました & ハンドルネーム変更しました

おっかなびっくりでブログを始めて2ヶ月、投稿は続けてますが読み返してみると内容は独善的、文章は散漫。恥ずかしい限りです。「道しるべ」などとおこがましい。まあでもこれが等身大なので仕方がありません。

コメントを寄せていただいている皆さんには本当にありがたく感謝申し上げます。独り善がりで暴走気味の「道しるべ」です。是非色々な観点からの意見・感想を書き込んでいただき「道しるべ」をごいっしょに作り上げていければと思っています。どうぞよろしくお願いします。

原文講読開始まで後1ヶ月になりました。そろそろテキストにかかります。(少なくとも2週間は先行して予約投稿しておかないと苦しいのです)。未だどういうスタイルでブログアップしていくのかよく分かりません。まあ立ち上がって「あとは流れで」で行こうかと思います。ご意見あれば聞かせて下さい。

ブログ作成者の経験に基づくテキストの使い方、時間の目安などを固定ページに「テキストの使い方」として載せましたのでご参照ください。

結構時間がかかります。特に最初慣れるまでの2ヶ月ほどは大変です。でも一人で読むのに比べると刺激もあっていいかと思います。ごいっしょに源氏物語をエンジョイしましょう。

ところでハンドルネームを「清々爺」(せいせいや)に変更しました。本名から一字とり、親しみの持てる老人になりたいとの思いと将来孫たちにも読んで欲しいなとの思いから「爺」をつけたものです。何事にも清々しく立ち向かっていこうとの思いも込めたものです。ちょっと変ですかね、まあ慣れるでしょう。

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源氏物語 物語論

源氏物語第二十五帖「蛍」の巻に有名な物語論が展開されます。梅雨時の徒然に玉鬘が絵・物語で時間をつぶしている所へ源氏がやってきて「ものがたり」に対する自論を述べるのです。

神代より世にあることを記しおきけるななり。日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しくくはしきことはあらめ。

事実を述べたとされる日本書紀などよりも却って物語の中に真実が述べられているのでしょう、、、と言っているのです。当時源氏物語などはまだ「女が書いた女のための絵空事」という位置づけだったのに対する紫式部の強烈な自己主張で、文学論・物語論としても高く評価されているところです。

日本書紀はともかく栄花物語も大鏡も所詮は歴史物語であり、現代の司馬遼太郎の「竜馬がゆく」や塩野七生の「ローマ人の物語」と大差はないということでしょうか。
(NHKの大河ドラマを評して「あれは史実に基づいていない、だって司馬遼太郎はそう書いてないもん」というのが一般的な歴史の見方なんでしょう。それでいいのだと思っています)

→以上、私自身が物語について述べるつもりは毛頭なく、こう言う高尚な議論がなされている高尚なお話なんですよということをPRしたかった迄であります。。

逆に源氏物語が歴史を作っている例もあるのでしょう。平安後期・鎌倉以降、宮中の儀式や貴人の身の処し方など源氏物語にこう書かれているからそれを踏襲しようなんてこともあったのではないでしょうか。

同じような例ですが、「空蝉」の巻の最後に「空蝉の羽におく露の木がくれてしのぶしのぶにぬるる袖かな」というのがあり、これは伊勢集(紫式部に100年先行する女性歌人)に入ってる歌そのもので、紫式部がそっくりパクッたという説と逆に後世の人が源氏物語のこの歌をパクって伊勢集に増補したという説があるのです。面白いと思いました。

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恋の手立て - 和歌

源氏物語の時代、和歌は重要なコミュニケーション手段でした。和歌を通じ男女が知り合い仲良くなっていき、女性宅に招き入れられ結ばれる。その後も和歌を詠み合って愛情を確かめ合う、、、そんな風だったようです。

どこそこに良さそうな女性がいると聞いた男は万全を期して和歌を女性に贈る。女性側(取次の女房が男を値踏みするので女房対策も必要)に好印象を与えるため、和歌そのものの内容は勿論どんな紙にどんな墨を使いどんな書跡書体で書くのか、そして然るべき花木につけて和歌を贈る、、、大変に神経を使うのです。逆に女君もうかつな返事はできない。いろいろな駆け引きが繰り広げられるのです。優秀な女房が果たす役割は大きいのです。

そして後朝(きぬぎぬ)の朝、男は帰ってすかさず思いやりを込めた歌を贈らねばならない。帰りの車中、不埒な男は居眠りでもしてたのかも知れませんがちょっと気の弱い男などは和歌が気になって仕方がなかったのではと心配してしまいます。後朝の文、タイミングが大事で愚図愚図してて出しそびれたなどとなると大変なことになる。

後朝の文のこと紫式部は色々と小道具的に使って物語を進めて行きます。うまいもんです。末摘花への後朝の文はなおざりにしてしまったとか、夕霧が雲居雁に手紙を取られ一条御息所への返事を出し遅れたとか、、、。(後朝の文ではないが、事が発覚するのも和歌・手紙を見つけられてのことが多いのです→柏木の密通がバレルところが圧巻)

源氏物語の中で和歌・手紙の果たす役割りは誠に大きいのです。

→是非、各巻2つ、和歌を憶えましょう。。

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王朝女性の教養 ‐ 琴 和歌 書

王朝男性にとっては勿論、女性にも各種教養を身につけることは必須であり、幼少の頃から優秀な家庭教師などをつけて習い事の特訓をするのが常であったようです。女性の場合色々ある中で最重要なのは音楽と和歌と書道であったようです。

音楽関係では琴・笛・琵琶が主たるものですが女性は琴(琴にも何種類かあるが)を一人前に弾ける事が大事だったようです。何せ末摘花でも弾いているのですから。物語では六条院に朱雀院を迎えるにあたって源氏が六条院の女君を集めて女楽を執り行うくだりが圧巻です(若菜下)。

次に前回書いた和歌。男性から贈られた和歌に臨機応変に返事をするには古歌・故事の引用など幅広い知識が要るのは勿論、機智とかユーモアも含め総合的な人間力が試されたのでしょう。それと自ら手書きで書かねばならないから書道が重要だったのでしょう。いくら和歌の内容がよくても金釘流の離し書きでは話にならない。やはり流麗な仮名文字でサラサラと書いてなければならない。あ~あ昔に生まれてなくてよかったと思うことしきりです。

古来和歌と書をいっしょに習うお手本として次の二首が使われたようで、源氏が若紫に和歌を教えるくだりにも引用されています→(若紫)②p58

(古今集・紀貫之の仮名序に和歌の父母と呼ばれている手習い歌)
  「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」 (古今仮名序)
  「浅香山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」 (万葉集)

この歌を繰り返し繰り返し書いて手習いとしたのでしょう。

他にも絵画・香道・染色→衣服へのセンスなど盛り沢山で、教える方も教わる方も大変だったと思います。源氏に全てを教わった紫の上が全てを身につけていたことは当然として、九州で二十年近く過ごした玉鬘の万事堪能ぶりには驚かされます(ちょっと不自然な感じもします)。

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カテゴリー 身辺雑記を設けました。

真面目人間の一途なブログ、全く余裕がありませんね。反省しています。
不定期になるかと思いますが「身辺雑記」みたいなもの載せることにしました。「オレは源氏など興味がないので、、、」という知り合いの方にも気軽にレスしていただければと思います。

完全フリーになって3か月経ち漸くペースがつかめてきました。結構やることがあって忙しいものです。アレもコレもと思うと結局何もできない、選択と集中、、どこかで聞いたことあるフレーズが蘇ります。

通勤しなくていいとなると早く目覚めます。寝ておれないのです。最近は5時に目を覚まし新聞(読売)をゆっくり読み、6時から1時間散歩に行きます。付近は40年変わらない田舎で畑・田んぼをたどって江戸川の土手へ。しばらく土手を歩き周遊して戻ってくると丁度1時間7000歩です。土手では360度のパノラマビュー、今日も富士山がよく見えました。季節の移ろいも感じられ気持ちよしです(俳句に活かせるといいんだけどそれは全くできてません)。

結婚して40年になります。一昨日~昨日一泊のお手軽バスツアーで上高地と高山に行ってきました。40年前の新婚旅行がこのコースだったのです。大正池・河童橋・朝市・古い町なみと40年前を思い出してきました。

津で結婚式を挙げて鳥羽-高山-上高地-美ヶ原の4泊5日、即ち東京への帰途を新婚旅行にしたまででした。家内の記憶によるとこの4泊5日で交通費・宿泊費入れたパッケージで2人6万円だったよし、、。慎ましかったものです。「よ~し、10年後結婚50周年にはこのコースを再現してみよう!」と話しながら帰ってきました。いい目標ができました。健康でいなくっちゃ。。

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六条院 - 源氏物語のランドマーク

六条院、この豪華な舞台を作り出したこと誠にアッパレ!だと思います。
正に源氏物語を象徴する舞台装置です。場所は内裏からけっこう遠い。そして六条とは即ちあの御息所のところです。御息所の死後その旧邸宅をどうしたのか不明ながら手に入れそこを含む四町の広大地(240M X 240M)に豪華な国風寝殿造りを出現させたのです。春・秋・夏・冬の四区画に分け女君を分散配置して住まわせ、源氏は気の向くままに泊まり巡る、、、「六条ハーレム」と呼ばれる訳であります。

六条院の図、それぞれの町の配置と趣向は是非頭の中に入れていただければと思います(六条院の復元図色々書かれています)。玉鬘十帖は主としてここを舞台に展開されます。そして第二部は若菜上でこの紫の上の根城たる六条院春の町に女三宮が入り込んでくるところから始まります。こりゃあ大変なことになるなあとピンと来るのです。

六条院の四季の風情は少女の巻に素晴らしい描写があります。繰り返し朗読すべきところかと思います。また玉鬘の巻で女性たちそれぞれに見合った正月用の新調晴着を配る場面(「衣配り」と呼ばれる)も名場面です。

四季の町を配して季節の移ろいを語り花鳥風月とともに年中の行事が描かれる。そして紫の上と秋好中宮との春秋論争も盛り込む、、、六条院あってのことです。

六条院のモデルは源融の河原院とも言われています。一時は須磨に流れた身でどこにそんな財力があったのか、、、なんて考えるのは無用の詮索と言うものでしょう。

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声に出して読もう、名場面

源氏物語には名場面、名調子が沢山出てきます。思いつくところを列挙すると、

 ①余りにも有名な冒頭「いづれの御時にか、女御更衣、、」
 ②北山で若紫発見「雀の子を犬君が逃がしつる、、」(大河で出てきた)
 ③ああ末摘花「あなかたはと見ゆるものは鼻なり、、」
 ④車争い「これは、さやうにさし退けなどすべき御車にもあらず、、」
 ⑤野宮の別れ「はるけき野辺を分け入りたまふよりいとものあはれなり」
 ⑥須磨の秋「須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、」
 ⑦右近・玉鬘、長谷寺での遭遇「なほさしのぞけ、我をば見知りたりや」
 ⑧蛍に浮かぶ玉鬘「さと光もの、紙燭をさし出でたるかとあきれたり」
 ⑨近江君の爆笑譚「何か、そは。、、大御大壺とりにも仕うまつりなむ、」
 ⑩初めて見たり紫の上「、、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す」
などなど。  

こういう名場面は何れも名文・名調子なので声に出して読むとすごく気持ちがいい、「あ~あ、源氏物語を読んでるんだ」と自己満足に浸れます。最初は難しいですが、段落や振り仮名をつけて何度も読んでいると慣れてきます。是非トライしてください。

源氏物語は口承文学ではなく書かれた文字を読むのであったと思うのですが、写本は限られた数しかなかったので女房たちが朗読してそれを聞くという方法も一般的だった筈です。中世の武将なども読むのは苦手だけど源氏は身につけておかなくてはと音読をきいたのではないでしょうか。

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紫のゆかり

源氏物語は色々なテーマが重層的に展開しストーリーが作り上げられていくのですが、その最たるものは「紫のゆかり」と呼ばれるものです。

光源氏が生まれ3才の時母桐壷更衣が亡くなる。その母に似た藤壷を追い求め遂には禁断の恋を契る。その藤壷の俤をやどし姪にあたる紫の上を見つけ出し最愛の伴侶に育てあげる。そして晩年には藤壷の姪即ち紫の上の従妹にあたる女三の宮を正妻に迎える。

桐壷更衣 → 藤壷 → 紫の上 → 女三の宮

これが「紫のゆかり」です。源氏物語を読んでいくにはやはりこの背骨にあたる太いラインを常に意識するのがいいと思います。

紫は平安王朝の高貴な色。桐の花、藤の花の紫。そして武蔵野の象徴であるむらさき草(根が染料として用いられた)にも因んでいる。実に含蓄深いテーマ設定ではないでしょうか。

手に摘みていつしかも見む紫のねにかよひける野辺の若草「若紫」

幼き若紫に思いを馳せる源氏の歌、紫のゆかりを象徴する歌だと思います。

そして宇治十帖ではよく似た概念で「形代」というのが出てきます。よく似た人を身代わりとして追い求めるというものです。

宇治の三人の姫君。 大君(おおいぎみ)→中の君→浮舟です。

こちらの方は「紫のゆかり」ほど高尚ではなく身代わり、代用品といった感じに思えるのですがいかがでしょう(それだけ宇治十帖の方がリアリテイがあるのかも知れませんが)。

見し人の形代ならば身にそへて恋しき瀬々のなでものにせむ

(薫→中の君 「東屋」)ちょっと露骨ではないでしょうか。

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何故にこんなに暑いのか

全く異常ですね。もうお彼岸近いというのに連日の30度超、呆れ飛ばすしかありません。

リタイアしたら今まで行きたくて行けてないところ・ゆっくり見れてないところに行こうということで昨日は江の島に行ってきました。2時間ほどかけて楽しんできました。あいにく富士山は見えませんでしたが弁天さん・展望台・海べり・岩屋と全部回ってきました。フェリーで対岸に渡って生しらす丼(初めて食べました)。そして江ノ電で長谷までいって長谷寺の観音さんにお参りしてきました。桜井には行けてないので替りのつもりです。ここも小規模ながら境内が二段になっておりお花で有名のようです(昨日は萩くらいでしたが)。平日なので観光は楽々、ただ往復とも道は混んでて車の多さに改めて驚きました。

せっかく時間ができたのだから好きなゴルフに少しまじめに取り組もうと思い、暑い中ゴルフのレッスンを始めました。毎週一回、個人的にアドバイスしてもらい後は打ちたいだけ打つというコースです。コーチもなかなかいい人で質問に明解に答えてくれて日頃抱えていた疑問が次々に氷解していく思いです。それと打ちたいだけ打てるというのがいいのです。ゴルフの上達法は基本をおさえて後はできるだけ多くボールを打つということに尽きると思いました。
「4番アイアンは難しい」「ボールが上がらないのはヘッドスピードが遅いから」「ヘッドスピードを上げるには怖がらず思い切り振るしかない」「初めは当たらないが少しづつ当たりボールも上がるようになる」「4番は乗せるクラブでないのでそこそこ距離が稼げれば十分」「4番で練習しておけばショートアイアンはやさしく打てる」、、こう言われてひたすら打っています。確かに少しづつは当たるようになってきたような気がします。しばらく続けようと思っています。教わるというのもいいものですね。

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悪役 & ちょっと変わった人たち

源氏物語にアクセントをつける脇役の面々、その内「素晴らしき従者たち」は先に述べました。ここではちょっと変わったキャラクターの人たちを整理してみました。読み進めるのに頭においていただけばと思います。

悪役・ヒールとしてはやはり弘徽殿女御でしょうか。いかにも憎々しい、相当性悪女に描かれています。その父親の右大臣、早口が特徴、この人もキャラです。賢木で光源氏・朧月夜密通の場に踏み込むところが抜群に面白い。

この弘徽殿女御に焦点を合わせて書かれたパロデイ小説が内館牧子の「十二単衣を着た悪魔」(源氏物語異聞)。弘徽殿女御こそ自分を主張し積極的に生きた評価すべき女性であるとの観点から現代と平安時代の世相比較を交えて述べられている。数あるパロデイの一つだが源氏物語を知らない人にはさっぱり分からないし知ってる人にも理解しにくいかなり乱暴なお話とお見受けしました(失礼ですが)。

源典侍 (げんのないしのすけ) 年令は+39 即ち源氏19才の時58才でコトに及ぶ(紅葉賀)。この件相当ドギツク圧巻です。この人紫式部はよほど愛着があったのか葵の巻でも出てくるし、その後何と朝顔の巻でも登場する。この時71才くらいか、、「出たあ~」という感じです。

末摘花 年令は出てこない。この特異な姫君のことも異常に長く詳しく書かれている(末摘花と蓬生の二巻は丸々この人のお話)。7割方は笑いとばし3割くらい同情を持って描かれている感じでしょうか。

唐衣また唐衣からごろもかへすがへすも唐衣かな

(源氏→末摘花 「行幸」)

近江の君 この姫君の描き方はちょっと酷すぎる。私が源氏物語中唯一紫式部に対し「チョイ待ち」と言いたいのは近江の君と末摘花をボロクソに嘲笑している部分です。官能場面をあれだけ省筆の極意で書いた紫式部が何でこの辺露骨になってしまったのか。まあ止められなかったのでしょうね。

草わかみひたちのうらのいかが崎いかであひ見む田子の浦波

(近江の君 「常夏」)

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源氏物語絵巻 源氏絵

長編で複雑な源氏物語、古文に慣れていた昔の人と言えど読み見通すのは難しかったのでしょう。分かり易く伝える手立てとして絵巻物とか絵入りダイジェスト版とかが一杯作られています。

有名な「国宝源氏物語絵巻」がその始め、現存しているものは数少ないが名古屋の徳川美術館&世田谷の五島美術館に所蔵されています。→青玉さんも式部さんも何度も見られたのだと思います、この私出不精でまだ見てないのです、何たる怠慢でしょうか。

この国宝源氏物語絵巻(白河法皇と待賢門院璋子が作らせたという説面白いと思います)の後も色々な絵巻・源氏絵が手を変え品を変え描かれています。

以下NHKBSアーカイブス「源氏物語 一千年の旅~2500枚の源氏絵の謎」を見てのまとめです。
源氏物語が貴族→戦国武将→徳川将軍家→江戸町民層と広まっていったことがよく分かります。

 ・戦国武将大内義興は都文化に憧れ三条西実隆に源氏物語絵巻を作らせた
 ・織田信長は上杉謙信に源氏物語屏風絵を進呈した(権力誇示)
 ・豊臣秀吉も源氏物語の講義を受け必死に勉強した(勉強メモが残っている)
 ・徳川家康は源氏物語を徳川家に取り込み初音の巻を朗読させ、豪華調度品を作らせた
 ・これに対抗し後水尾天皇は光源氏を見下したような源氏絵を作らせた
 ・偽紫田舎源氏でパロデイ化され歌川国貞の春画バージョンも作られた(裏に隠れて)
 ・明治時代~戦前は源氏物語受難の時
 ・現代では様々な漫画バージョン・変化球バージョンが出ている
 ・「あさきゆめみし」はその最たるもの

何かまとまりがなくすみません。言いたいことは分かっていただけると思います。

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後見(うしろみ) - 経済的・政治的バックアップ 

光源氏の金持ちぶりには驚き呆れ訝るばかりですが、まあそれはいいとして貴族の雅で華やかな暮らしにはとてつもないお金が必要であったことは間違いありません。逆に言えば経済的に苦しいと貴族の体裁を保ちえないということだったのでしょう。

更にびっくりするのは、女性が後宮に入り天皇の妻となるにも、また女性が自邸に婿を迎えるにも経済的にそれを支えるのは父親の役目、即ち父親に甲斐性がなければ女性は上級の貴族と縁を結ぶことができなかった。娘を持った父親は大変だった→金を使い娘を利用して外戚として摂政関白の地位にも上ることができた。。。という構図だったのです。

物語中、後見がないので飛躍できない不安であるとされるのは冒頭の桐壷更衣(老いた母が残っただけ)、若菜上の女三の宮(母が亡くなり母方に有力者もいない)、それと宇治の姫たち(父は没落貴族)が典型でしょうか。

逆に経済的に余裕があるのが六条御息所。源氏とはうまくいかず誰が後見していたのか不明ながら六条院サロンを維持し若き貴公子たちの憧れの的であったように描かれています。

それと金持ちの極めつけは明石一族(明石入道)。この財政パワーはすごい。お金で明石の豪邸を作ったのは勿論、住吉神社に貢ぎ尽くし、明石の君に都レベルの教養を身に着けさせ、晴れて源氏に娶らせ、孫(明石の姫君)は中宮になり皇子を生む。お金と才覚、、、アッパレ入道!と叫びたくなります。
 
 → 幸せ者の頂点が「明石の尼君」と言うので、双六ゲームでいい目が出るよう近江の君が「明石の尼君!」「明石の尼君!」と唱えながらサイコロを振る場面が傑作です(若菜下⑩p48)

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